マヤ列車の遺構移設、記憶公園めぐりメキシコ考古学者が法的手続き
メキシコの観光鉄道マヤ列車の建設で移設された47のマヤ遺構が、キンタナロー州チェトゥマルの4ヘクタールの敷地に集められ「記憶公園(Balam Tun Memory Park)」として整備された。メキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)はミリ単位の精度で移設したとしているが、INAH内部の考古学者たちがこの手法を問題視し、元INAH所長ら26人を名指しした法的手続きを現地時間2026年7月7日に起こした。
何が起きたのか
全長1554キロのマヤ列車は現地で2023年12月に運行を開始した。ユカタン半島の遺跡密集地帯を通るため、事前の保存事業では6万2985点の遺物と520カ所の遺跡が記録された。マヤ列車の遺跡保存責任者を務めるマヌエル・ペレス氏は、100キロを超える区間でルートを変更し、7000カ所以上の記念物を元の場所のまま保全したと説明する。価値の高いものは現地保存を優先し、6120件をその対象としたと述べる。
記憶公園は現地時間2025年8月26日に発表された。同種の公園はキンタナロー州のほかカンペチェ州にもある。INAHの研究者組合は現地時間2025年11月18日に現地を調査し、実際には47の基壇から表面の石材だけが剥がされ、その一部だけが新たに築いた芯の上に置かれていたことを確認したとする。元の芯は放棄され、石材の由来もはっきりしなくなったという。
この調査結果を受け、INAHが対応しなかったとして、専門家20人がまとめた700ページの証拠資料を添えて、考古学者2人が正式な調査を求める法的手続きに踏み切った。申立人側は、建造方法からして先スペイン期の建造物をそのまま移すことは物理的に不可能だとし、表面の石材を剥がせば残る遺構を壊すことになり、内部に奉納品が納められていることも多いと主張する。なお2020年にも、建設が文化財より優先されているとして専門家らが破壊を告発する法的手続きを取っている。
背景
ペレス氏は、この移設措置はメキシコの1972年文化財法に基づく安全確保策であり、現地保存が不可能な場合の次善の手段だったと反論する。密集した遺構分布のため、ルート変更では他の遺跡へ影響が及ぶおそれがあったという。レーザー計測や写真測量で各区域を記録し、石材は一点ずつ目録化して位置情報を付けたとも説明する。「舞台装置を作っているのではなく、科学的な証拠を保存しているのだ」と述べる。
INAHはエジプトのアブシンベル神殿移設など過去の事例を引き合いに出すが、申立人側はこれに反発する。弁護士のホセ・マヌエル・エルモシージョ氏は「バラムトゥンは、記念物の解体と部分的な再構築を法的に有効なものとみなす、メキシコで初の制度的な前例になる」と述べ、この手法が将来の開発事業で「移設」として正当化されかねないと懸念を示す。
日本にとっての意味
開発事業と遺構が同じ土地を奪い合うとき、解体して別の場所に組み直すことを保存の一形態として認めるかどうかは、日本でも実際に判断が分かれてきた論点である。JR東日本の高輪築堤跡(東京都港区)では2021年、第7橋梁を含む築堤80メートルと公園に隣接する40メートルを現地保存し、信号機跡を含む30メートルは近隣に移築するという整理がなされた。JR東日本は第7橋梁を保存するため建設予定の建物の位置を変更しており、これは価値の高い部分を現地に残し、残りを移すというペレス氏の説明する選別の考え方と重なる。その後、現地保存される部分については史跡指定の手続きが進められた。
一方、京都市内の横穴式石室の移築では、灰方古墳群のように、移築後の石室が複数の古墳の石材を組み合わせて造られたものもある。右壁には4号墳、他の部分には1号墳の石材が使われており、組み直した石室がどの遺構に由来するかが単純ではなくなる。石材の由来が不明瞭になるという申立人側の懸念と重なる構図といえる。メキシコの考古学者が投げかける、組み直しは保存と呼べるのかという問いは、日本ではすでに現地保存と移築を分ける実務上の判断として組み込まれている。