ローマの邸宅で16世紀の裸体壁画、300年以上を経て姿を現す
ローマのコロッセオ近くに建つ「ヴィッラ・シルヴェストリ・リヴァルディ」で、16世紀に描かれた裸体の神々や戦闘場面の壁画が相次いで見つかっている。17世紀に建物を所有した修道会が、非キリスト教の神話を描いた裸体画を不快として漆喰で塗り隠していた。イタリア中央修復研究所(Istituto Centrale per il Restauro)が2026年、本格的な修復を進めている。
館内の「神々の間」では、オレンジや黄、緑の色彩で描かれた女神たちの半身裸像が現れた。流れるような衣をまとい、一部は武具や武器を手にしている。美術史家ジャンニ・ピッティリオ氏によると、大英図書館で見つかった素描から、作者はプロスペロ・フォンターナである可能性が高いという。それ以前の段階は、ペリーノ・デル・ヴァーガの指揮のもとで制作されたとみられる。
隣接する「皇帝の間」では、騎兵や獅子を含む戦闘場面や、皇帝ティトゥス、ハドリアヌスの肖像も見つかっている。修復チームは薬品を避け、水を使う手法とレーザーで上塗りを取り除いているという。
何が起きたのか
ヴィッラ・シルヴェストリ・リヴァルディの内部から、16世紀に描かれた大規模な壁画群が次々と姿を現している。同紙はこれを21世紀イタリアで最も重要な発見の一つと位置づける。「神々の間」の女神像や「皇帝の間」の戦闘場面のほか、キューピッドとプシュケーの間も未調査のまま残る。
修復研究所のパオラ・メッツァドリ氏は、2002年から06年にかけて試験的な洗浄を行った際のことを「私たちは壁画があると確信し、洗浄試験を行った」と振り返る。しかし当時の所有者だった宗教修道会には修復を続ける資金がなく、作業は止まっていた。
2024年にラツィオ州が建物を2500万ユーロで買い取り、2026年から公的な修復が本格的に始まった。
背景
この邸宅は16世紀半ば、教皇パウルス3世の側近だったエウリアロ・シルヴェストリが、自らの枢機卿昇格運動を後押しする狙いで建てた。壁画のユピテルの姿勢は、パウルス3世の庇護のもとミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」のキリストの姿勢と重なるという。
1660年からこの建物を所有した修道会は、女子校と孤児院を運営していた。異教の神話に基づく裸体像に修道女たちが不快感を抱き、壁画は塗り隠された。皮肉にも、こうして漆喰の下に閉じ込められたことが、壁画そのものを後世まで破壊から守ったとみられる。
修道会が1970年頃に建物を離れた後は市民活動の拠点や不法占拠の場となり、資金不足のまま長く手つかずだった。
日本にとっての意味
裸体画の覆いを剥がす作業は、修復技術そのものより資金の出所に左右される。ローマの邸宅では、州による2500万ユーロでの買収が公的修復への道を開いた。同じ構図は、ヴァチカン美術館のシスティーナ礼拝堂でも見られた。
ミケランジェロの壁画の洗浄・修復は1980年に始まり、1994年まで続いた。日本テレビ放送網(東京)が修復への資金提供を保証し、見返りに画像の独占利用権を得たとみられる。1565年にダニエレ・ダ・ヴォルテッラが裸体像に衣を描き加えた「最後の審判」も、1990年春から1994年にかけて修復された。
ローマの壁から後世の覆いを取り除く工程は、州による買収にせよ外国企業の資金にせよ、誰がその費用を負担するかによって初めて動き出す。